診断士を目指した理由は?

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考えてみた
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なんでこの資格試験の勉強をしているのか・・・

今日はなぜ診断士の資格の勉強をやっているのか?について書いていきます。

以下記事にも簡単に書いていますが、基本的に私は営業として生きていくつもりで、今の会社に入りました。ただ話術も秀でているわけではないし、頭の回転も早いわけではない。そういう葛藤の中で、一つ自慢できる資格があればと、「営業 資格」と検索したら、今は違うかもしれませんが、その当時に出てきたのが中小企業診断士の資格でした。

じゃあ、何となく受けてみようかなと、当時の会社斡旋の通信教育に中小企業診断士の講座があったので、とりあえず申し込んでみました。

しかし、その講座は特に動画で何かを教えてくれるわけではなく(今みたいにスマホもそこまで普及していなかったので)、テキストをドーンと送ってきて、「はいどうぞ!」というかなり受講者のモチベーションまかせの講座でした。

そんな意識の高くない私はもちろん勉強することもなく、診断士のことすら忘れていました。

転機は転勤から・・・

で、転機は辞令により、郊外へ転勤となったことです。(郊外といっても、私の会社は本社が地方にあり、一応栄転?)

当時、妻と結婚したばかりで、会社の社宅に入り、1年も経たずに転勤かよと思いふつふつと組織に属することの理不尽さを感がていました。妻も仕事でいきなりの異動は厳しいということで、とりあえず1年だけ単身赴任をすることにしました。

そして、4月に異動し、単身赴任生活も始まりましたが、ひとりで特にすることもなかった私は、何かないかなとネットやら本屋やらで情報収集していると、会社近くに資格の学校を見つけ、ふと中小企業診断士の資格について思い出しました。

で、そこの資格の学校の診断士講座のパンフレットをもらい、家でみていたら、4月後半からでも1.5年かけて受験ができるコースがあったため、受講することにしました。

それが2013年ですので、もう7年も経っているんですね・・・。

ただ異動したばかり、初めての本社勤務、初めての転勤&単身赴任ということで、正直勉強なんて手がつかなかったです。でもとりあえず2日目にある暗記科目の経営情報システム、経営法務、中小企業経営・政策を受けましたが、全然わからず、どれも合格点は取れなかったような記憶があります。(昔すぎてもう忘れてしまいました)

そこから勉強を進めますが、2014年から2016年までは全然受かりませんでした。

言い訳ですが、2014年に10年近く入院していた父親が他界しました。そして父親をずっと看病していた母親ですが、ようやくゆっくりと自分の時間をもてるとおもった矢先に、病気が発覚し、2016年に他界しました。

書くとあっという間ですが、地元との往復(飛行機でいく距離)もしんどく、自分の最愛の母がなくなるなんてもっと先の話だと思ってた私は母が亡くなるまで毎日そわそわして勉強どころではありませんでした。

いろいろな治療法を試した母ですが、容態が厳しくなり、会社に地元への転勤ができないかをお願いしました。しかしそれは叶うことはありませんでした。組織なのでそれがかなわないというのは、当たり前なのかもしれませんが、当時は会社に絶望し、なんで俺この会社にいるんだろうという思いしかありませんでした。

毎日母親とラインや電話をし、当時は仕事をしていなかった妻と上の子に地元に少しの間行ってもらい母親の相手をしてもらったりと、できることはやったつもりです。ただ、やはり会って話すことができなかったこと、それが私の能力不足であること、そこに非常に心残りがあります(今でも)。

1つだけ。母の病気が分かっても、すこしずつ勉強をして、診断士の試験は毎年受けていました。診断士をとることで、組織から抜け出せ自由に生きられる可能性を持つことができると思っていたのだと思います。

そして、母がなくなった翌年の2017年に初めて診断士試験の一次試験に通りました。

ただ、母が亡くなり腑抜けとなった私にその年の二次試験を受けるほどの力は残っておらず、試験を受けないという暴挙にでました(あの時は精神的におかしかったのかもしれません・・・)

さすがに2年目は受けないといけないと思い、自分を奮い立たせ少しずつですが、勉強をして、二次試験を受けましたが残念ながら不合格でした。

まさかの申込み忘れも何とか今年までたどりついた・・・

さすがにもう診断士の勉強をやめようかなと思っていたのですが、二次試験の結果がBABBのBということだったので、ここでやめたら何のために勉強してきたんだという思いが溢れてきて、妻にも受かるまでやれ!と檄を飛ばされ、勉強を続けていました。

そんな時、2019年に、転勤はなかったですが、社内異動となり、激務の部署に着任となりました。かなり特殊業務で、戸惑いましたが、仕事と勉強の両立は続けていました。

で悲劇が。。。この年は独学でやっていたのですが、一次試験のモチベーションも上がらず、ダラダラと勉強していると、ふと思いました。「あれ?試験の申込用紙っていつ来るんだっけ?」

そう。私は資格の学校に通っていたので、郵送で申込用紙が送られてきたのですが、今回は独学ということでもちろん送られてくることもなく・・・

診断士協会のHPを見ると、「申込の受付は終了しました」の赤い文字があり、顔は青ざめました・・・。

かなり自分の馬鹿さ加減に落ち込みましたが、落ち込んでいても仕方ないので、その年はもう仕事しようと割り切りましたが、気持ちはそわそわ。勉強習慣をつけていたので、落ち着かない日々が続きました。

で、長くなりましたが、今年は無事二次試験まで受験をすることができました。(最後あっさりですみません)

母の命日が近くなり、ふと昔のことを思い出したのと、結果がでるまで毎日そわそわしてしまうので、今回は改めて診断士を目指した時の気持ちを備忘録として記載しました。

長文&駄文ですみません。

それでは今日はここまで!ありがとうございました。

Have a good self-improvement life!

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